名古屋の天才デザイナー 岩門雄太郎という人間
名古屋の天才デザイナー 岩門雄太郎という人間
天分は、持って生まれるもの。才能は、引き出すものよ。 ー ココ・シャネル
皆さんの周りには、「天才」はいますか?僕は「天才」と聞くと、大学生のころ特別講義で、企業コンサルタントにして、アフリカの少数民族のことを取材している女性経営者のお話を聞いたことを思い出します。
その方がおっしゃっていた興味深い言葉が「天才は、どの環境にもいる」でした。日本の天才経営者に匹敵する天才は、アフリカにもいるというのです。ある環境で「一番」でいることは、それ自体が「天才」を作りだすシステムになっているのだと。
R.D.C.は、名古屋市中村区に事務所を構えるとても小さなデザイン事務所ですし、名古屋は東京に比べ「デザイン」が遅れているイメージをよく持たれがちです。もっと言えば日本もデザイン後進国だと言われます。
がしかし、ここ日本に、そして名古屋、中村区に一人の天才デザイナーがいます。それが、弊社のデザイナー、我らが「岩門雄太郎」です。
手前味噌ですし、ふざけてるのか!と思われそうですが、これは至って真面目な記事。R.D.C.は、そして僕はパートナーとして、彼が世界レベルの天才デザイナーだと信じています。
不敵な笑みの岩門雄太郎 = 通称 : 「先生」
抜群の「造る」力
これは言葉で説明するより作品を見ていただくのが最も早いでしょう。
愛知県立芸術大学の入試では、事実上「満点」
僕と岩門雄太郎は、「愛知県立芸術大学」という日本に5つしかない国公立の芸大のひとつを出ています。入試の倍率はなかなかなもので、学年のほとんどが浪人生です。そんな入るのが難しい芸大の入試で彼は1000点満点中「980点」という事実上の満点をつけられています。
彼が受けた入試は、デッサンや色彩平面構成、立体造形で合否を決める「一般入試」ではなく、ロゴやチラシ、パンフレットなどの制作物をまとめた作品集で合否が決まる「自己推薦入試」という方法で入学しています。
つまり、「絵を描く才能」ではなく「デザイン力」に対して過去最高の評価を得て、大学生になっているということです。
これはとんでもないことなのですが、実は自己推薦入試では2次試験に面接があります。1次試験で1位だった彼ですが、喋りベタなので2次試験で7位まで落ちたそうです笑
人生2枚目のデッサン
ほとんどはじめて描いたデッサンのスキル
写真は彼が人生で2枚目に描いたデッサンです。この凄さは芸大受験者にしか真価がわからない部分もありますが、半端じゃないです。ごくごく稀に、こういう人がいますが…
多分、数ヶ月画塾に通えば一般入試でも入学できたでしょう。
デッサン力とは「観察力」
デッサンがうまい、絵がうまいというと、「描く能力がある」という技術面が評価の対象になりがちですが、芸大受験で未だにデッサンが取り入れられているのは、そこではなく「観察力」を評価するためです。
上手なデッサンを描くためには、徹底した「観察」が必要であり、それはデザインをする上で究極に必要なことです。
名古屋では激レア?!文字を作れるデザイナー
大学で出会ったとき、すでに彼は「文字をデザインする」ということにとてもこだわっていました。変わってるな…で終わらしてはいけません。世の中のデザインは、「面」と「文字」で出来上がっているからです。
写真やフォルムなどの「面」、そして「文字」という2大構成要素のうち「50%」に人並み以上にこだわることは、他との圧倒的差別化という視点で見れば、とても合理的なのです。
さらには、多くのデザイナーは「文字」にとても疎いです。良いデザイナーと、そうでないデザイナーは文字の扱いを見れば2秒で見分けることが可能です。
岩門のオリジナルフォント
カリグラフィー2000年の歴史からくる説得力
岩門デザインの最大の特徴が、「オリジナルフォント」でしょう。彼はロゴを制作する場合、ほとんどのケースでロゴタイプ(社名など)の文字を0からオリジナルで作ります。
その時、より説得力のあるものにするため引用しているのが、「カリグラフィーの知識」です。
カリグラフィーとは、いわゆる「西洋書道」です。奥様方の趣味と侮ることなかれ、カリグラフィーにはなんと2000年近い歴史があります。しかも日本語と違い、わずか「26文字」に対してその歴史ですから、かなり熟成した物語がそこにはあるのです。
人はフランスで生まれた文字を見れば、潜在的にその国の風土をイメージしますし、時には時代性も文字を選ぶことで伝えることができます。
岩門のカリグラフィー作品
「文化になる」が完成のとき
デザインは、「集客ツール」だと思っている人が多くいますが、本質的には僕はそうではないと思っています。デザインは「ブランディング」の手段であり、「気持ち」を作るツールだとも言えると思います。
そんな彼のデザインにおける「完成」の基準は、「文化になり得る」というものです。デザインが集客目的だけで、その場その場のために作られるものではなく、長く愛され、人々の「気持ち」に染み込むうちに時が経ち、いつか振り返ったときに、その手法や表現が「文化的な価値」をもっていないといけないという意味です。
細部にまでこだわることが、ブランドを形成していく
僕が最も「天才」だと思うポイント
それは、「吐出した感性と、強固な哲学で物事を観察し、本質的な理解と解釈ができる」という点です。
天才デザイナーに必要なのは、本当に大切な核(コンセプト)を捉え、本質的、創造的に解釈できる能力であり、その表現技術や引用できる知識の量は、努力で手に入れるものだと思っています。
彼のデッサン力は「観察力」。それは、人に対してもそうです。僕が打ち合わせではヒアリングを担当しますが、その会話の中からクライアントを徹底的に観察し、そこからデザインの核となる相手の本質的な「ハート」を拾い上げ形にします。
なので、打ち合わせのあとディレクターである僕が彼に「参考サイト」を提示したり、色の指定をしたりなどのイメージ共有は一切行いません。一度良い打ち合わせをすれば、僕らの中ではすでに同じ「ゴール」が見えています。
作品が物語っているので、御覧ください。
いろいろ褒めちぎってしまいました…。間抜けな一面も今度動画などで上げてやろうと思っています。
とにかく、一度見てもらうのが手っ取り早いですね。
こちらに過去の作品を掲載していますので、御覧ください!(まだ一部ですが…随時あげていきます…)